三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
Column

唯一の電波メディア・ラジオと信託

1920(大正9)年、米国ピッツバーグで世界初のラジオ放送が開始され、その様子が日本に伝わると、新聞各社はラジオの「速報性」「同時性」に注目し、実験放送を実施。政府が関係法令の整備を進めるなか、折しも関東大震災が発生した。電信・電話などの通信網や交通網が途絶え、大多数の新聞社も被災したが、関東地域の沿岸に停泊していた船舶の無線がいち早く被災状況を伝え、速やかに救援要請を行ったことで、ラジオ放送実現への機運はますます高まった。新聞各社をはじめとする民間企業が開局の出願を行ったが、逓信省は公益法人に許可を出すこととし、1925年3月、社団法人東京放送局(JOAK、のちのNHKラジオ第一放送)が日本初のラジオ放送を開始。1953(昭和28)年にテレビ放送が始まるまで、ラジオは唯一の電波メディアだった。

信託協会の会長として信託の普及発展に尽力していた米山梅吉は、ラジオ放送開始の翌1926年4月17日、ラジオ放送で「人を信じてこれを依頼するという観念がなくては、到底この社会は成り立たない」「まして財産上のことにかけて、面倒な問題の始末を依頼しておくということは自然な人情からくること」としたうえで、信託制度を「法律と関連して複雑化した経済問題を処理するにあたって、われわれの顧問ともなり、良友ともなるべきもの」と位置づけ、信託の意義について話をしている(資料編「米山梅吉のラジオ放送」参照)。ラジオという新しいメディアの持つ力に着目して信託の広告宣伝に採り入れたことも「創意の人」として知られる米山らしいエピソードである。

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