- 第1編
- 第2章 - 国際化・自由化と社会の多様化 1975~1990
4 金融自由化と金融革新の萌芽
金融自由化、国際化の進展
1980年代後半、金融業界では自由化、国際化、市場化の動きが一段と強まった。1985(昭和60)年は「金利自由化元年」といわれ、同年の市場金利連動型預金(MMC)、自由金利定期預金(大口定期預金)の導入を皮切りに、預金金利の上限規制が大口のものから徐々に緩和、撤廃されていく。また信託各社では、MMCなどの預金に加えて、実績配当型の金銭信託「ヒット」を発売し、流動性に優れた貯蓄商品として人気を呼んだ。こうして、資金調達に占める自由金利商品のウェイトが上昇し、貸出金利でも市場金利との連動性が強まった。なお、邦銀の海外拠点数が著増し、国際的業務が急速な拡大を見せる一方で、外国銀行による日本進出も進み、外銀系信託銀行9行が設立された *1 。
以上のような自由化の動きは、金融機関に競争激化と利ザヤ縮小による収益圧迫要因として作用すると同時に、事業範囲の拡大と新たな収益機会をもたらした。そしてリスクも多様化、複雑化し、リスク管理体制の再構築と自己資本管理の拡充が求められるようになった。
1987年12月には、国際的な銀行システムの健全性、安全性の強化や国際的な銀行間の公平な競争を狙いとして、BIS(国際決済銀行)において自己資本比率規制の国際基準統一化に関する合意が主要国間で成立(バーゼルⅠ)、大蔵省は国際的統一基準を公表し、1992(平成4)年度末8%達成を義務づけた。これによって邦銀は、量的拡大に偏重しがちだった従来の経営スタンスの修正を求められた。
また、1980年代半ば以降は低金利の時代となり、過去の高金利時代に借りたローンの低金利ローンヘの借り換え需要が爆発的に増え、銀行間のローン肩代わり合戦が激化した。信託各社は、企業の長期資金需要が低迷するなか、運用基盤の強化のため、また資産有効活用、資産運用、節税などのニーズに応え、資産家との親密化や取引深耕に資する個人向けローンに注力し、消費性ローンにも積極的に参入した。
モルガン信託銀行、ドイチェ信託銀行、ステート・ストリート信託銀行、チェース信託銀行、シティトラスト信託銀行、ユー・ビー・エス信託銀行、クレディ・スイス信託銀行、バークレイズ・グローバル・インベスターズ信託銀行、ビー・エヌ・ピー・パリバ信託銀行

邦銀初の飛行船広告「ビッグ&ヒット」

「ヒット」「ホームローン」ポスター

大企業の資金調達の変化