三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

5 高度成長期の発展

高度経済成長の到来

1960(昭和35)年に発足した池田内閣は、国民所得倍増計画を強力に推進し、10年間の年平均実績で11.6%という世界にほとんど例のない高度成長を達成した。この成長を推進する原動力となったのは、財政・金融政策と大量消費の最終需要に支えられた、企業の大規模設備投資であった。企業の設備投資は一方で供給過剰と資本の固定化、借入依存度の増大を招き、労働力不足による賃金上昇が加わって企業利潤を圧迫し、財務体質を悪化させた。日本では戦後一貫して均衡財政方針のもと国債を発行しなかったが、1965年の構造不況において民間設備投資主導の経済成長が頭打ちとなったのを受け、有効需要拡大のために国債発行政策への転換を迫られた。

一時的な不況から立ち直った日本経済は、幾度かの調整局面はあったものの、大きな流れとしては拡大路線を歩み、1970年7月まで57カ月にわたる好景気(いざなぎ景気)を享受した。しかし、この長期繁栄の過程で、景気過熱に伴う「物価上昇」が表面化し、賃金の加速度的な上昇が物価の上昇を加速させた。このため政府・日銀は金融引き締め策に転換し、景気は後退局面に入っていく。

この時期、日本経済は、国際化に向けて大きく進展しつつあった。国際収支は1965年に経常・総合両収支が黒字に転じた後、輸出競争力が増すに従って貿易収支の黒字も累増。また米国では国際収支が慢性的な赤字でドル不安がたびたび表面化し、国際通貨問題が大きくクローズアップされる。

1971年8月、米国のニクソン大統領がドルの金交換停止を含むドル防衛緊急措置を突如発表したことは、国際経済に大きな衝撃を与え、ニクソン・ショックと呼ばれた。そして、同年12月18日、ワシントンのスミソニアンで開催された主要10カ国蔵相会議により、日本は、1959年4月以来維持されてきた1ドル360円の対ドル交換レートを308円に切り上げざるを得なくなった。その後一時小康状態を保った国際通貨体制は、1973年1月のドイツマルク投機を契機とする通貨不安再燃により動揺し、同年2月、円はついに変動相場制への移行を余儀なくされる。

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