- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
時代の要請に応えて
信託各社は、新たな時代の要請に即応していくため、常に財産管理業務をはじめとする信託の可能性について検討してきた。そうしたなかでこの時代に誕生したのが動産設備信託(車両信託)と後述の年金信託であった。
動産設備信託は、米国の鉄道会社が車両を購入するときに用いていた方法を研究し、日本に導入したもので、元はGHQ財政顧問として経済安定化政策を進めたジョゼフ・ドッジが、見返資金 *1 の運用にあたって提示した方法であった。信託協会は、大蔵省の委嘱を受けて車両信託について調査研究を行い、1954(昭和29)年に報告書(信託協会『信託 第19号(昭和29年6月15日号)』所収)を提出している。
折しも1955年に日本国有鉄道(国鉄)が民有車両制度 *2 を採用し、車両を賃借して使用しながら順次買い取っていくこととなったため、その間の車両製造会社の資金調達方法として車両信託方式が検討された。そこで1956年4月にまず住友信託銀行が動産信託の実施に向けて業務の種類および方法書の変更届を提出し、三井、三菱、安田の各社もこれに続いた。このときは結局国鉄が早期買い上げを実施したため車両信託は実現しなかったが、1956年11月に三井信託銀行が帝都高速度交通営団(東京地下鉄の前身)および三菱電機を当事者として日本で初めての動産設備信託(電気部品に限定した設備信託)契約を締結したことを公表した。そのわずか4日後、住友信託銀行も、小田急電鉄および日本車輌製造、川崎車両を当事者とする動産設備信託の受託決定を公表している。これが日本初の車両信託で、信託車両第1号となったのは、特急専用車両として1957年に登場した初代ロマンスカーであった。動産設備信託へのニーズは高く、船舶、バスなどへと受託対象を拡大させながら日本の交通インフラ整備に貢献した。
当初は受益証券を消化する市場が存在しなかったため、量的拡大には困難を伴ったが、その後、高利回り、安全といった評価が高まり、年金基金の運用対象として相当額が組み入れられた。

信託車両第1号となる小田急電鉄の初代ロマンスカー

わが国初の船舶信託によるセメント運搬専用船模型(1960年、三井信託銀行)

東京急行電鉄の信託車両模型(1960年、三井信託銀行)