三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

2 戦時体制下の日本と信託業界

証券業務への進出と信託会社の地位向上

世界恐慌後に金本位制は崩壊し、それを機に世界の資本主義諸国はいわゆるブロック化・広域経済圏形成へと傾斜していったが、日本も例外ではなかった。政治的には1931(昭和6)年9月に勃発した満州事変以後、準戦時体制と呼ばれる時期に入る。国内的矛盾を解決できなかった日本の資本主義が戦争に解決の糸口を求め、ブロックの形成を目指したのであった。

日本経済は、金本位制停止後、緊縮財政から膨張財政に転換。膨張の中心を占める軍事支出の増大が重化学工業に需要を与え、景気回復の端緒を開いた。財政需要を増税なしで賄うために、1932年11月には新規国債の日銀引受発行が開始され、軍事費等を反映して年々累増。一方、不況から脱出した企業は、財政資金の散布を受けて生産を増加させ、借入金の返済と社債の低利借り換えへと走った。

多額の国債の発行と、その消化を目的とする低金利政策が進められるなか、信託会社は草創期に勝る活況を呈し、銀行、生保と並んで金融業界の三大勢力として認められ、諸種の会合に信託代表が参加するようになった。1932年7月には数年来の要望活動が実り、従来大手銀行14行に独占されていた国債シンジケート団のメンバーに三井、三菱、住友、安田の四大信託会社が加わった。さらに、これを突破口として1936年7月に南満州鉄道社債シンジケート団に参加、また翌年4月には東洋拓殖社債シンジケート団にも参加している。

1933年4月には担保付社債信託法がオープン・エンド・モーゲージ制 *1 に改正され、起債市場が活性化。初めてのオープン・エンド・モーゲージ契約は三井信託が獲得する。そして、同年以降、信託会社の引受額は順調に拡大し、引受シェアも安定的に推移した。

あらかじめ発行限度額を定めて物的担保を設定し、その限度額に達するまで同一順位の担保権を持つ社債を分割して発行できる制度

各社別事業債引受実績(昭和戦前期)

各社別事業債引受実績(昭和戦前期)

各社別事業債引受実績(昭和戦前期)

各社別事業債引受実績(昭和戦前期)
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