三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010

住友信託銀行と日本長期信用銀行の合併の検討

金融再編のうねりが押し寄せるなか、1998(平成10)年6月下旬、住友信託銀行は日本長期信用銀行からの合併の要請を受け、同月の経営会議で同行との合併に関する検討に着手することを決定。同年7月3日に合併検討委員会を設置した。日本版ビッグバンが急速に進展するなかで、同行との合併はグローバルな基準で「一流バンキング&投資マネージ機関」として求められるプレゼンスやノウハウ、人材などを強化していくことに資するものと考えた結果、合併検討の決定に至ったのであった。

この合併は、政府・与党が検討している不良債権処理策「金融再生トータルプラン」に沿ったものであること、業態の垣根を越えて行われるものであること、両社合わせた資金量が国内第2位となるものであることなど、金融システムに与える影響の大きさから国内外で大きく報道された。橋本首相は「金融システムの安定にも資するものとして高く評価する」と歓迎する意向を示し、この合併は政府の全面支援を受けることとなった。ただし、住友信託銀行としては、資産の健全性の観点から、長銀に対して実施予定である金融監督庁の検査結果も踏まえ、次のような前提条件のもとに合併検討委員会で検討していくこととした。

  1. 正常先債権のみを承継すること
  2. 長銀の関連会社、関連親密先については同行が責任を持って健全な財務内容にすること
  3. デュー・デリジェンス(重要事実把握のための事前調査)の実施を含む透明性の高い手続きを実施すること

そして合併検討委員会では、長銀の資産内容、調達構造、収益力等に関する資料の提示を受け、分析を進めた。

1998年8月20日、高橋温(あつし)社長は、首相官邸に呼ばれた。他の主な出席者は、小渕恵三首相、宮澤喜一蔵相、野中広務官房長官であった。その場で高橋社長は小渕首相から、合併への協力の要請を受けた。金融システム危機回避のために、民間銀行の合併に首相自ら乗り出したこの事態は異例のものといえた。高橋社長は、従来から示している合併の前提条件や、商法上の必要な手続き等を踏まえて検討していく旨の回答を行った。翌21日に長銀は、不良債権処理策、海外撤退等を柱とする抜本的な経営合理化計画を発表。これにより1999年3月期決算が6,800億円の経常赤字に転落することも明らかになったため、自己資本充実を目的として、預金保険機構に公的資金導入を申請することも表明した。これに対して政府は、公的資金の注入、資金繰り支援等により金融システム安定に万全を期すとともに、住友信託銀行と長銀との合併を全面的に支援する方針を明らかにした。

このような動きを受け、住友信託銀行としては、今後とも、正常先債権のみの承継等を前提条件として、マーケット、株主、顧客からの評価・信認が得られる内容となるよう、引き続き前向きに合併に向けた交渉を続けていくとの発表を行った。そのころ、住友信託銀行の株価は合併検討開始直前の600円台後半から一時250円台前後まで下落していた。

一方、1998年6月から政府・与党で金融再生論議が始まり、金融再生トータルプランとして取りまとめられ、同プランに基づく法案が国会に上程され、与野党間の激しい論戦のすえ、金融再生法と金融早期健全化法が成立した。長銀問題への対応についても政府の方針をめぐって議論が続き、状況は混沌としてきた。このような状況のもと、長銀は政府に対して特別公的管理の申し出を行い、小渕首相は1998年10月23日、金融再生法に基づく特別公的管理の開始を決定、これにより合併の検討は終了することとなった。

なお、拡大戦略をとっていた中央信託銀行では、日本債券信用銀行との合併を検討していたが、日債銀も1998年12月に政府の特別公的管理下に入ることが決まり、破談となった。

  1. 三井住友トラストグループ100年史 ホーム
  2. 100年史
  3. 第1編 - 第3章 - 3 金融システム改革と金融再編 - 住友信託銀行と日本長期信用銀行の合併の検討