- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
Column
信託を主業として――「パンとバター」で論戦!
貸付信託の創始によって信託業界がめざましい発展を見せると、都市銀行等から、信託銀行が銀行業を兼営していることに批判が集まり始めた。戦後、信託会社が銀行を兼営することになったのは、あくまでも信託業を軌道に乗せるためであり、貸付信託によって信託業が単独で成り立つなら、銀行の兼営は不要だろうというのである。もともと「長短分離」の方針をとってきた大蔵省は、強く専業化を進める考えだった。
このとき信託協会会長を務めていた住友信託銀行の熊谷榮次社長は、大蔵省も都市銀行も出席していた1955(昭和30)年ごろの信託大会において、銀行業務と信託業務は「パンとバター」の関係で、パン(信託業務)にはバター(銀行業務)が必要不可欠であり、バターの量はパンの量で決まる、と主張。信託業界を挙げてこの「パンとバター」論によって、完全分離に抵抗した。その後、「パンとバター」論の成果か否か、信託銀行における分野調整問題は「専業化」ではなく「主業化」として進められた。