- 第1編
- 第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010
金融の自由化と金融制度改革への対応
円高不況対策や対外協調を実現するため、政府としては内需拡大の一層の推進が必要となったが、そこで重要なテーマとなったのが金融の自由化である。すなわち海外企業からの日本市場への参入要請に対し、日本政府による規制を緩和することが経済摩擦を解消するために必要となり、金融の自由化とそのための金融制度改革が重要なテーマとなったのである。
1985(昭和60)年9月、金融制度調査会に制度問題研究会が組成され、約6年にわたる議論を経て、1991(平成3)年6月に金融制度調査会最終答申「新しい金融制度について」が大蔵大臣に提出される。これを受けて、1992年6月には「金融制度及び証券取引制度の改革のための関係法律の整備等に関する法律」(金融制度改革法)が成立し、1993年4月から施行されることとなった。この法律は、それまでの縦割りの金融制度を包括的に見直し、業態別子会社による各種金融業態間の相互参入による金融・資本市場における適正な競争の促進、金融・資本市場の効率化、活性化等を図るものであり、日本金融史上、きわめて重要な意義を有するものであった。
信託関係で中心となったテーマは、信託銀行子会社の業務範囲、子会社形態での相互参入に伴う弊害防止措置、信託参入の資格要件、信託代理店などで、1992年4月には住友信託銀行が信託協会会長会社となり、以後、信託業界を代表して業界の考え方を各方面に主張していった。
1992年4月早々、まず議論の対象となったのは「信託主業」という方針であった。これは、1953年12月25日の「銀行業の免許等の事務の取扱方について」(蔵銀第5133号)という通達に記されたもので、普通銀行が信託業務の兼営認可を申請しても原則として認可せず、信託業務の兼営を認可された銀行については、信託業務を主業として行うよう指導する、という趣旨であるが、これが金融制度改革に伴って1992年4月末に廃止されることとなったのである。この方針は、信託業の健全な発展を図る見地から、信託業を銀行業の片手間としてではなく、主業として営ませようとする考え方から生まれたものであり、信託協会としては、これは金融制度改革後も維持されるべきものだという考えに基づき、他業態からの参入にあたってのルール作成の際には配慮するよう要望した。
国会審議の過程では、1992年6月1日、信託協会会長が衆議院大蔵委員会に参考人として招致され、意見陳述を行った。金融の自由化や国際化が進むなかで、顧客の利便性向上、信託業務の健全な発展に資する適正な競争を重視する観点に立ち、業態別子会社方式による相互参入などの改革法案には賛成する、としたうえで、信託業務への参入にあたっては、信託業務や事業精神への理解、専門能力の保持・育成、業務遂行のための財産的基礎の整備などに努めることを求めた。そして、信託銀行子会社の業務範囲の当初の制限、段階的な参入等の必要性、信託代理店制度の実現などにつき要望を行った。
金融制度改革問題の中核は、他業界が参入する信託銀行子会社の業務範囲であった。信託業界は大蔵省を中心に行われた各業界の折衝のなかで、①信託業の健全な発展の促進、②競争の状況と利用者の利便性、③信託サービスの地域への均霑(きんてん)、④システム投資負担と効率性、⑤信託業の寡占化と信用秩序の混乱回避、を論拠に、「少なくとも金銭の信託は当初の業務範囲から除外すべきである」と主張した。
そして1992年12月17日、大蔵省は「金融制度改革実施の概要について」という形で同制度の具体的運営方針を公表。その中では信託銀行子会社の当初の業務範囲は、「銀行法により認められるすべての業務、金銭の信託のうち証券投資信託、ファンド・トラスト、従業員持株信託、金信託、金銭以外の信託(不動産の信託のうち信託財産の処分を目的とするものを除く)、公益信託、特定贈与信託」とされ、また信託銀行子会社の当面の参入の対象は「証券会社ならびに信託銀行子会社の設立を優先する長期信用銀行、外国為替専門銀行および系統中央機関とし、その後の参入については制度改革の趣旨、改革実施後の状況、市場の状況、経営に与える影響等を勘案しつつ、当初参入からおおむね1年程度を目途としてさらに検討していく」こととされた。
このようにして、大蔵省から信託銀行子会社の業務範囲として開放されるものが提示されたが、貸付信託、年金信託、合同運用指定金銭信託、指定単独運用金銭信託、不動産の信託のうち処分信託等、信託業法第5条に基づく併営業務は除かれることとなった。