三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第2章 - 国際化・自由化と社会の多様化 1975~1990

3 バブル経済の発生と業務拡大

バブル経済下の大型景気

日本経済は1980年代半ば、以下の事象によって大きな転換期を迎えた。

第一は、1985(昭和60)年9月のプラザ合意による各国通貨当局の協調介入を機に、外国為替市場において1ドル240円前後から、1988年末には120円台前半へと急速な円高ドル安が進行したことである。この背景には、80年代前半、米国ではレーガン政権による財政支出拡大とドル高政策により、財政赤字と経常収支赤字が拡大し続け(「双子の赤字」)、その持続可能性に疑問の目が向けられるとともに、米国も日本や西ドイツなど貿易収支黒字国に対し、ドル高修正と内需拡大を強く求めたことがあった。

第二は、80年代前半の円安ドル高基調のもとで、日本に大幅な経常収支黒字をもたらし、米国との経済摩擦を度々発生させた輸出主導型の成長パターンを内需主導型に切り替えたことである。これは、上記の円安ドル高修正の流れと軌を一にするものであった。

第三は、世界的に「小さな政府」の政策思想が強まり、各分野で規制緩和、自由化、国際化の動きが加速したことである。

政府は、財政再建の途上で公共事業予算を積み増しすることが難しいなかで、民間需要の掘り起こしによって内需拡大を図るべく、土地利用や建築の規制緩和、国有地の払い下げ、リゾート開発など民間活力の導入を進める政策を推進した。また1985年度から87年度には、3公社の民営化を行うなど行政改革が推し進められ、公企業の相次ぐ上場によって証券市場の活性化がもたらされた。日本銀行は、1986年1月から87年2月にかけて、公定歩合を5.0%から、当時史上最低となる2.5%まで5回にわたって引き下げるなど積極的な金融緩和策を進め、マネーサプライの伸びも10%超まで高まった。

こうした状況のもと、日本経済は1986年11月以降、4年余にわたる長期の景気拡大局面を迎えた。すなわち、物価の安定による実質所得の増加、金利低下効果、株価・地価上昇による資産効果などが相まって、個人消費・住宅投資・設備投資が揃って拡大する内需主導の経済成長が実現したのである。乗用車などの耐久消費財や奢侈品が飛ぶように売れ、内需を開拓すべく企業の設備投資が業種を問わず活発化。実質経済成長率は平均5%を上回った。また財政の面では、所得税・法人税の減税、消費税の導入、歳出抑制の継続などが行われるなかで、税収の大幅増加により収支が大きく改善し、1989(平成元)年度にはついに赤字国債の発行がゼロとなって財政再建目標を達成した。

この間、1989年4月に3%の消費税が導入されたことによる一時的な価格上昇はあったものの、企業の価格設定行動が慎重であったこと、アジアからの安価な製品輸入が拡大したことにより、経済全体の需給が引き締まるなかでも物価は総じて安定的に推移した。

こうして国際協調とインフレなき景気拡大を同時達成した日本経済に対する評価は一段と高まり、日本的経営方式や取引慣行の優位性が盛んに強調されるようになった。

世界の時価総額ランキング(1989年)

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