- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
金融統制の強化と「兼営法」
1943(昭和18)年3月公布の「普通銀行等の貯蓄銀行業務又は信託業務の兼営等に関する法律」(兼営法)は、戦争末期の異常な雰囲気のなかで資金吸収を促進するため急遽制定されたものだが、信託業界にとって伝統的な分業主義政策をくつがえす大きな改正であった。大蔵当局の真の狙いは、普通銀行を中心に据えて足手まといになる金融機関を合併集中させることでもあった。
兼営法が施行されても、信託業務の兼営がすぐに具体化することはなかった。信託会社同士の再編は、三和信託による中小信託会社合併のみで、親銀行による系統信託会社の吸収合併が主流であった。1944年8月になると、野村銀行 *1 による野村信託の合併を皮切りに、合計11社が合併の道を歩んだ。その他の3社は廃業・消滅し、兼営法施行時点で21社存在した信託会社は、敗戦時には三井、三菱、住友、安田、川崎、第一の6社と、証券投資信託の受託専業会社である日本投資信託の計7社のみとなった。
このように、普通銀行の信託業務兼営は、すべて信託会社の合併によるもので、銀行に信託部門が新設されることはなかった。普通銀行が積極的に信託業に進出したというよりは、戦時下で存在意義が薄れ、将来性もない中小信託が、経営不振の解決を親銀行との合併に求めたという色彩が強かったのである。