- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
不動産業務と分譲事業
昭和初期の信託会社において、主要な不動産業務は宅地管理であったが、三井信託は、米山梅吉の指示のもと、創意工夫によって独自の業務を開発した。広すぎて買い手がつかず、困っている大口所有者のために整地分割のうえ、一般の住宅建築希望者向けに販売し、両者から感謝されたのである。分譲地の第1号は、麻布笄(こうがい)町(現在の港区西麻布)の黒田清輝子爵邸宅地(1925年)であった。
三井の戦前の宅地開発は主に三井合名が担い、1933(昭和8)年には三井家所有となっていた旧熊本藩細川家下屋敷跡地の一部を小学校用地・公園用地として地元自治体に寄付し、残りの約7万2,600㎡を住宅地として分譲したが、この戸越分譲地の造成と分譲の実務は三井信託が三井合名から委嘱されている。
一方、住友信託の不動産業務として特筆すべきものに、南郷山の分譲事業がある。1931年から33年にかけ、西宮市南郷町一帯の丘陵地帯の土地を買い取り、区画整理事業の単独施行によってこれを開発し、住宅地を造成して一般に分譲することに成功した。当時としては信託会社初の自己資金による事業として、かつ関西初の近代的高級住宅地帯として評判を呼んだ。
このように戦前の信託会社では、信託業法に基づき固有勘定による不動産の取得が認められていたが、戦後、信託銀行になったのち宅地造成・分譲事業ができなくなり、電鉄会社や不動産会社などのデベロッパーと提携し、新しい形で不動産事業を展開していくことになる。

三井信託、住友信託が共同で分譲した「麻布霞町分譲地」パンフレット