- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
Column
米国映画と信託による重要産業への外貨導入
1955(昭和30)年以降、三井、住友を含む大手信託銀行は、米国映画の興行によって蓄積された円貨(「蓄積円」)を特定金銭信託として受託した。
戦後復興を果たした日本では、1951年には黒澤明の「羅生門」が日本映画で初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)を受賞するなど、娯楽としての映画が復活。興行の中心はハリウッドを中心とする米国の映画で、1950年代半ばでは国内上映約500本のうち200本以上が米国の作品だった。しかし、戦後しばらく外国人は日本で得た収入の自国への送金を厳しく制限されており、映画の場合、興行収入の2割程度しか送金することができなかったため、困った米国の映画会社が「一部でも本国に送金させてもらえるなら、蓄積円を日本経済の発展に役立つよう使用する」と日本政府に要請。財政投融資財源の不足に悩んでいた政府は、電源開発向けの資金としてこれを受け入れ、利息と返済された元本を本国へ送金できるようにした。
これは、戦後初の政府による重要産業への外貨導入であり、その方法として特定金銭信託の方法がとられたことは、戦後の信託の発展を象徴する出来事であった。