- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
国際業務の展開
国際業務については戦後1949(昭和24)年に「外国為替及び外国貿易管理法」が制定され、東京(三井)、富士(住友)など主要4信託銀行が外国為替公認銀行として認可されて、1950年に外国為替業務に進出していたが、この認可は、外国銀行とのコルレス契約(銀行相互間の為替取引契約)、海外支店の設置が認められていない乙種認可であった。1954年4月には「外国為替銀行法」が公布施行され、同年8月に東京銀行が外国為替専門銀行・甲種外国為替公認銀行として新発足している。乙種のなかでは日本長期信用銀行と主要4信託銀行がトップグループを形成し、甲種ヘの昇格を希望していた。
国際化の進む大企業との取引ウェイトが高い信託銀行では、国際業務への本格進出は必然であり、重要な課題であった。また、投資信託が外国株を買い入れるにあたって、受託者として信託銀行が代行する必要が生じ、国際業務に進出せざるを得なくなったという事情もあった。このため、信託6社は1970年3月、甲種同様に外国銀行と直接コルレス契約を結ぶこと、投資信託の受託会社として外国の投資顧問会社と株式投資に関する業務を提携すること、外国銀行に口座を設けることなどの認可を要請した。そうした状況のもと、金融制度調査会の甲乙区分を撤廃すべきとの答申を受けた大蔵省は、1970年8月に甲乙区分を廃止し、コルレス契約は段階的に緩和されたのち1972年9月に無制限の包括許可となった。
その後、ドル・コール市場への参加、私募債幹事など、制限は順次緩和され、信託各社は、取引先のニーズに応えて、インパクトローン *1 、プロジェクトファイナンスなどに取り組み、海外においても円建て・外貨建てシンジケートローンに参加するなど国際金融業務、国際証券業務を展開していった。