三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

証券代行業務への進出

証券代行制度あるいは株式名義書換代理人制度は、1950(昭和25)年の商法改正によって日本に導入された。もともと信託には、財産管理業務と事務管理面の業務があるが、米国では後者も広く信託に包括し、証券代行業務は法人信託の一つに数えられている。しかし、当時日本では「信託法」第1条で「本法に於いて信託と称するは財産権の移転その他の処分をなし、他人をして一定の目的に従い財産の管理または処分をなさしむるをいう」と規定し、「信託業法」第4条で受託しうる財産の種類を列挙するなど、財産管理面の色彩を強く押し出していたため、証券代行業務のような事務信託については、法的根拠に苦しむこととなった。

1950年9月、証券処理調整協議会 *1 の職員と事務所を引き継ぐ形で日本証券代行株式会社 *2 が設立された。同社は1956年に株式名義書換代理人事業を開始し、1959年には同業務で業界トップとなるが、日本で初めての業務はこれに先立ち1954年11月に野村證券が証券取引法に基づいて認可を受け、三井造船の名義書換代理人に選任されて開始されている。なお、大蔵当局は、野村證券には認可したが、他の証券会社からの申請は拒否した。証券会社がこの業務を兼営する弊害を懸念し、証券会社以外の中立的な機関が取り扱うことが望ましいと考えていたからである。

野村證券はかねて証券信託銀行設立構想を検討しており、信託各社はこれに対抗しうる地盤をつくるため、1957年6月、大蔵省に証券代行業務の取り扱い認可を要請した。大蔵当局は、信託銀行が証券代行業務を行うこと自体には異存がなかったが、1950年に証券代行に関する単独立法(株式名義書換代理人に関する法律案)が廃案となっていたため、法的根拠を何に求めるかが問題となった。「銀行法」にも「信託業法」にも厳しい兼業禁止規定があったが、信託業法の「代理事務」と「債務の履行」を適用して拡大解釈することで法制上の問題を解決し、1958年11月に三井、三菱、住友、安田の4信託銀行は大蔵省に証券代行業務開始の届け出を提出した。

その届出書に記載された証券代行業務の内容には、名義書換だけではなく、株主名簿の管理等に関する事務、株券の交付、回収等に関する事務、株主総会に関する事務、配当金の計算および領収書の作成、株式に関する資料・統計の作成に関する事務など、株式に関するさまざまな庶務事項があった。株式の発行会社にとっては事務負担の軽減となったうえ、不正株券の発行・流通防止の面からも第三者による代行は有効であった。

次いで1964年5月には新規上場の要件として名義書換代理人の設置が義務づけられた。これは証券代行制度が株式流通の安定・合理化に大きな役割を示すことの証左でもあり、信託銀行はさらに存在意義を高めていった。

株式の名義書換、取次等を行う政府機関

2012年4月、三井住友信託銀行が発行済み株式の85.1%を取得、連結子会社化(2025年1月に三井住友信託銀行と合併)

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