- 第1編
- 第2章 - 国際化・自由化と社会の多様化 1975~1990
土地信託の発展と再開発事業
1972(昭和47)年、建設省が大都市周辺に良質な適正家賃の住宅を供給するため「特定賃貸住宅建設融資利子補給補助制度」の創設を検討したことを受け、信託協会幹事会社の三井信託銀行主導のもと、信託協会において1973年9月に「土地信託」が開発された。
土地信託は、同制度を利用して賃貸住宅を建設する地主から土地建物の信託を受ける一種の不動産管理信託であるが、従来の単純な不動産信託とは異なり、①土地所有者に対する土地の有効活用に関する企画協力に始まって、契約をはじめとする賃貸住宅経営に必要な事務を包括的に受託するものであること、②原則として建物の建設資金を融資すること、③同制度に基づいて管理・運営するものであること、を内容としていた。つまり、土地信託は、国または地方公共団体の住宅政策に協力するという公共的性格を持ち、また信託銀行が不動産業務などを通じて培ってきた専門的な知識や経験のうえに立って金融機能と財産管理機能を有機的に結び付けた、信託銀行ならではの商品になったのである。
1980年代半ばごろから、土地信託は再開発事業と結び付いて本格的に発展する。民有地の土地信託については、1984年3月に住友信託銀行が第1号を受託して以降、有効利用を希望する土地所有者に代わって、信頼できる専門家である信託銀行が管理・運用に関わる一切の業務を行う手法として着実に普及し、コンサルティング、テナント誘致をはじめ金融機関としての総合力を発揮した。
次いで1986年に「国有財産法」と「地方自治法」が改正され、国公有地の土地信託が可能となったことを受けて、国有地および公有地の土地信託でも住友信託銀行が以下のようにそれぞれ第1号を受託し、土地信託のパイオニアとして業界をリードしていった。
公有地を対象とした土地信託の本邦第1号は、1986年10月に熊本県から受託した。土地信託採用の理由は、①県として新たな財源措置が不要、②長期にわたり安定的配当収入が見込める、③行政目的を反映した事業展開の進展で周辺地域の良好な都市環境形成が期待できる、ということにあった。なお、翌87年10月には計画建物の一部について、初めて郵政省のテレコムプラザおよび通産省のニューメディアセンターの同時認定を受け、地域情報センターとニューメディアの展示啓発施設の機能を併せ持つインテリジェントビルとして内容充実が図られた。公有地の土地信託では、地方自治法改正前に第三セクターを利用した実質的な第1号といえる大分県別府市役所跡地の土地信託も受託している。当時は自治体が直接信託を委託できなかったため、第三セクターの別府市南部振興開発が借地をし、その借地権を信託する方法をとったもので、黎明期に工夫を凝らすことで実現にこぎつけた案件であった。
また、国有地の土地信託については、1989(平成元)年6月、国有財産地方審議委員会が住友信託銀行を受託予定者とする東京都中野区所在の物納財産(相続税として納付された土地)の土地信託を決議し、同年7月に信託契約が締結された。これは、借地権者と国との共同委託により延床面積734㎡のマンションを建設するもので、国有地の土地信託の本邦第1号となった。公有地土地信託の受託件数において、三井信託銀行と住友信託銀行は共にトップ水準であり、大型案件ではしばしば名を連ねた。
地価高騰、土地売買規制や課税強化を背景に、土地を売らずに有効利用しようというニーズが高まるなか、土地信託は、所有と利用の分離を図ることができると同時に地価上昇を表面化させずに有効利用できる手法としても注目された。一方、都市再開発等の分野で民間活力の活用を図りたいという時代の要請にもマッチしていた。

土地信託受託件数の推移(業界・累計)