- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
証券市場の活況と公社債投信の伸長
1962(昭和37)年12月、中央信託銀行は、母体となる日本証券代行より業務を引き継いで証券代行業務を開始。その時点でのシェアは、会社数で42%、株主数で47%と圧倒的であった。次いで支店開設が一段落したのちの1968年8月には、明大前(東京都杉並区和泉)に証券代行事務センターを開設(現在の三井住友信託銀行証券代行業務の事務センター)。それまで分散していた証券代行事務機能を集中させたことで事務合理化が大きく進展し、その後のトップシェアの維持に寄与した。また、中央信託銀行は日本で初めて株主名簿のEDPシステムを完成させ、1975年7月に完全実施するなど業界の事務電算化を牽引した。
一方、証券市場は、1965年に証券不況が発生して一時打撃を受けるが、1970年ごろになると外貨の大幅流入などにより過剰流動性が発生し、活況を呈した。公社債についても、円建て外債の発行や外国証券投資の自由化などの国際化とともに、起債単位の大型化や発行条件の弾力化などが進み、個人、機関投資家の消化が増加している。こうした状況のもと、各信託銀行は積極的に証券投資信託の受託を推進し、あわせて中央信託銀行では投資顧問業務進出のための準備を始めた。
1967年の証券投資信託法改正により、ユニット型投資信託の募集方式を維持しながら、マザーファンドを設定して合同運用することができるファミリーファンド方式が認められ、さらに1970年4月には外国証券の組み入れが開始されていた。このような制度面・運用面の改善と証券市場の回復によって、公社債投資信託は安定的な高利回りを背景に順調に推移し、1970年には株式投信の規模に迫る増加を見せた。公社債投信主体であった中央信託銀行の受託元本残高は1969年9月に業界第1位となり、1973年9月まで業界トップの座を維持した。
1973年8月、中央信託銀行は他社に先駆けて投資顧問業務に進出し *1 、顧客ニーズに応じた金融サービスの提供のため、営業店への指導を強化するとともに、証券会社にトレーニーを派遣するなどファンドマネージャーの養成なども実施した。三井信託銀行は、1975年4月に米国プルデンシャル社との投資顧問契約により投資顧問業務を開始している。

証券代行事務センター

投資信託受託元本残高の推移(中央信託銀行)