- 第1編
- 第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010
4 構造改革と金融再生プログラム
構造改革と景気回復
2000年代の前半は、景気回復と不良債権問題克服の時代であるとともに、構造改革の時代でもあった。「構造改革路線」「改革なくして成長なし」をスローガンに掲げて2001(平成13)4月に成立した小泉純一郎内閣は、2002年2月に金融機関の不良債権処理の促進と産業再生を一体で進める「総合デフレ対策」を打ち出した。小泉内閣は、「小さな政府」「官から民へ」「中央から地方へ」などの理念を軸に公共サービスの民営化などを推進し、日本経済の再生と財政再建を目指した。
2000年代に入ると米国のIT関連産業が景気を牽引し、日本でも輸出が伸びて鉱工業生産も堅調な増加を続け、景気が緩やかに回復に向かった。いわゆるITバブルの崩壊によって米国経済は急減速し、2001年9月の米国同時多発テロ *1 による不透明感の高まりも加わって、2002年初頭には急速に後退色を強めるものの、この景気停滞は短期間で終わった。こうしたなかで日本銀行は2000年8月にゼロ金利政策を解除したが、再び金融緩和に動き、2001年3月には金融市場調節の操作目標を、それまでの無担保コールレート(オーバーナイト)から、市中銀行の日本銀行当座預金残高に切り替える量的緩和政策に踏み切った。
米国の景気は2003年6月にFRBが政策誘導金利であるFFレートを1%まで引き下げる思い切った金融緩和を行ったことから住宅建設が拡大。住宅価格の高騰が個人消費を刺激し、2003年以降は4%超の経済成長を実現した。また、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)をはじめとする新興国の経済成長が一段と加速し、世界経済における存在感が急速に高まった。
2002年初頭に景気が底入れした日本経済は、緩やかながらも息の長い回復局面に入った。設備投資も2003年度以降は増加に転じ、電気機械や一般機械などで大幅な伸びを見せた。その一方、個人消費は緩慢な伸びにとどまった。賃金がほとんど上がらなかったことに加え、非正規雇用者の増加が景気回復をもたらしたという側面があったためである。多くの国民にとっては実感なき景気回復となり、経済的格差の拡大が意識され、物価の下落基調にも歯止めがかからず、デフレはその後も継続した。