三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

住友信託の設立

住友信託は1925(大正14)年7月28日に設立された(9月2日営業開始)。先陣を切った三井信託の成功を目の当たりにした住友では、1924年7月に信託会社の設立案を住友合資会社に起案させ、その案を骨子として住友銀行取締役会および住友合資会社が設立を決定。承認した理由の一つは社会の要請に応えようとする住友の姿勢であったが、安田財閥が大阪で共済信託設立を計画し、また三井信託もいずれは大阪に支店を置くことが予想されるなか、金銭信託への預金流出を阻止したいという住友銀行の危機意識もあった。設立の準備は、住友合資会社からの命によって住友銀行の職員の手で進められ、大阪・北浜の住友銀行の本店内に創立事務所が置かれた。

当初は、住友内部の資本で設立することが構想されたが、大蔵省の指導により一般公募に変更となり、1925年6月、2,030人により資本金2,000万円、40万株の引き受けが完了。設立時の大株主には、住友銀行をはじめとする住友関係者に加えて三井合名会社、安田保善社、三菱合資会社、野村合名会社も名を連ねている。創立総会は、同年7月28日に大阪市の野村ビルディングにて開催され、住友吉左衞門(社長取締役)、吉田眞一(副社長兼常務取締役)が代表取締役に選任された。なお、1925年4月に提起された設立趣意書には、「最善至高の信義、誠実をもってこれを行うのでなければ、決して信託は成立するものではありません。すなわち、信託の根本要素は、どこまでも信任と誠実とでありまして、自ずと『信託制度は信用制度の最後の産物なり』と言わなければなりません」と記されている *1

創業翌年の1926年8月には、資金需要が大きく、かつ証券市場として重要な東京市場に進出するため、東京支店を開設した。大蔵当局は信託会社の経営基盤が強固なものとなるまで支店の設置を認可しない方針であったが、同年に金融の二大中心地である東京・大阪においてのみその設置が認められることとなったのだった *2

現在の行動規範(バリュー)「信義誠実」(私たちは、最善至高の信義誠実と信用を重んじ確実を旨とする精神をもって、お客さまの安心と満足のために行動してまいります)の起源

安田信託は大蔵省が支店設置不認可の方針を決定する前に支店設置を出願していたため開業当初から大阪本店、東京支店、名古屋支店の3店体制であった。三井信託、住友信託は初め本店だけでスタートし、三井信託は1927年9月に大阪支店を開設した。その後、信託業界では1940年まで東京・大阪以外の支店設置は認められなかったが、唯一の例外として1928年12月に屈指の大都市でありながら信託業が未発達であった福岡市において、住友信託福岡支店が開設された。

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