- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
信託業の不振と昭和恐慌
信託草創期の日本経済は「第一次大戦ブーム」後の不況下にあったが、信託会社の経営は順調であった。1927(昭和2)年には、震災手形処理(不良債権処理)における政府の失態を機に取り付け騒ぎが起き、金融業界は大混乱に陥って金融恐慌が発生するが、逆に安全性を求めて預金を金銭信託に移し替える顧客が増加するなど、大資本を背景とする信託会社はこの混乱の圏外にあって業績を伸ばした。
ところが、1929年を境に信託業界も不振の時代を迎えた。1929年10月に米国での株式市場暴落を発端として金融恐慌が発生すると、次いで欧州へ伝わり、翌年には世界的恐慌へと拡大する。日本でいう昭和恐慌である。これは折しも日本が世界に遅れて金輸出解禁に踏み切ろうとしていた時期に起きたもので、不況から脱するための輸出振興政策であったはずの金解禁が世界恐慌下の1930年1月に実施されたことで、開放体制となった日本経済は二重の打撃を受ける結果となった。さらなる不況のなかで投資性資金の増加も鈍化し、また金銭信託増加の基本的要因になっていた銀行定期預金からの資金流入が一段落した時期とも重なった。金銭信託だけが発展する要因は消え、業績不振となっていったのである。