- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
金融機関の分野規制と長短分離
政府は、基幹産業へ安定的な長期資金の供給を図ることを目的に、金融機関の業務分野調整と長短金融分離を進めた。この方針のもと1950(昭和25)年、日本勧業、北海道拓殖の両銀行が普通銀行に転換し、また1951年相互銀行法および信用金庫法、1952年長期信用銀行法、1954年外国為替銀行法などが施行され、分野調整が行われた。こうしたなかで、信託業界についても1954年、①信託銀行は、信託主業化・銀行主業化のいずれかを選択、②信託業務を兼営する都市銀行・地方銀行は信託業務を漸次分離、という内容の専門化行政方針が示された。信託銀行には長期金融専門機関として企業の資金需要を賄わせ、都市銀行のオーバーローンの解消を図る必要があったのである。
信託銀行および信託兼営銀行は二者択一を迫られ、三井、三菱、住友、安田、日本の5信託銀行は信託主業化を選択し、信託業務を兼営していた地方銀行7行は、1956年から1957年にかけて順次信託勘定を信託銀行に移管して銀行主業化した。
三和、神戸の両都市銀行は、証券信託銀行の設立を構想していた野村證券と提携して信託部門を分離し、野村證券から証券代行業務を引き継いで1959年11月に東洋信託銀行を設立した。また東海銀行、第一信託銀行 *1 は信託部門を分離・併合し、日本興業銀行も協力のうえ、1962年5月に中央信託銀行を設立する。こうして7専業信託銀行体制が成立し、信託業務を兼業する都市銀行は大和銀行だけとなった。
また1955年以降、信託主業化推進のため、取引先以外からの銀行預金の受入、取次を行わない信託専門店舗(いわゆる制限店舗)の新設が認められ、信託各社は支店、簡易支店、出張所等を設置した。さらに、店舗増設の都度、順次既存店舗にも制限店舗制が適用され、1964年度末には、三井、三菱、住友、安田の専業信託4社で銀行業務に制限のない店舗は、東京、大阪、名古屋の3店のみとなった。しかし、この店舗の増設は、その後の信託銀行の発展に大きく寄与することになった。