三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010

リーマン・ショックと世界金融危機

国際商品市況の上昇は、先進国にとっては素原材料コストの上昇、物価上昇を通じた景気下押し要因となった。日本経済も景気は徐々に減速に向かい、2008(平成20)年2月にピークを迎えた。

米国では、消費者物価上昇率の高まりを受けてFRBが2006年に政策金利を5.25%まで引き上げた。このため住宅ブームは冷え込み、住宅価格は下落に転じ、個人消費も鈍化するなど米国景気は減速した。サブプライムローンでは延滞が急増し、2007年に入ると同ローンを裏付けとした証券化商品の大量格下げ、米国大手住宅金融の破綻、フランス大手銀行BNPパリバによる傘下投資ファンドの償還凍結発表などにより世界の金融市場に動揺が走った。

2008年9月、米国大手投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻を機に、事態は一気に緊迫の度を強めた。世界的規模で株価が大幅に下落し、社債、貸出、証券化商品など各金融市場の市場機能が著しく低下して大規模な世界金融危機の様相を呈した。米国では自動車最大手のゼネラルモーターズが経営悪化から実質国有化され、日本の経済成長率も2008、09年度と2年連続のマイナスとなった。消費者物価は再びマイナス基調に転じ、株価は7,000円台前半まで下落。日本銀行は政策金利を引き下げ、2010年10月には実質ゼロ金利とした。

世界各国の政府・中央銀行は、金融機能と景気の回復を図るべく、①政策金利の引き下げ、②金融機関への公的資金投入や一部国有化、③短期金融市場における流動性供給や取引における政府保証の付与、④社債、CP、ABSの買取、⑤減税、公共事業等大規模な景気対策など、過去に例のない大規模な財政金融政策を相次いで打ち出した。こうしたことから、世界経済は2009年前半には最悪期を脱し、日本経済も新興国向け輸出の急回復や各種経済対策の効果により緩やかな回復に向かった。この間、2009年7月の総選挙では民主党が圧勝していわゆる政権交代が実現し、鳩山由紀夫内閣のもと、公共事業の見直し、子ども手当の創設などの政策が打ち出された。

しかしながら、こうした各国の政策総動員は、巨額の財政赤字という大きな負の遺産を生んだ。2010年にはギリシャの財政赤字問題を機にいわゆる欧州ソブリン危機が発生し、PIIGS諸国(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の債務償還能力に対する懸念が高まった。2011年に入ると、ユーロ圏の金融システムや統一通貨ユーロそのものに対する信認が揺らぎかねない展開となり、世界経済や金融市場の大きな懸念材料となった。

そして日本では2011年3月11日に東北地方太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、これに伴う大津波により、東北地方と関東地方の太平洋沿岸は甚大な被害を受け、東日本大震災と名付けられた。東京電力福島第一原子力発電所では原発施設が大きく損傷し、広範な地域に放射性物質が漏出。さらに、東北地方の主要工場の生産設備や交通網が大きく破損したことから、国内製造業のサプライチェーンが寸断され、鉱工業生産や輸出は大幅に落ち込み、その影響は世界の工業生産にまで広がった。しかし、その後の各企業の懸命の作業により、サプライチェーンの復旧は予想を上回るピッチで進捗し、鉱工業生産、輸出とも急速な回復を見せる。

株価の推移

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