- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
三井信託の設立
三井信託の設立を推進したのは、三井銀行の常務取締役を務めていた米山梅吉であった。米山は、海外における信託業務の発達状況に強い関心を抱き、日本でも必ず信託業に対する要望が強まると確信し、基礎強固な信託会社を設立すべくその準備に専念するために三井銀行を辞した。
米山の当初の構想は、全財界の協力によって新しい信託会社を設立し、財界の総力を結集してその普及を図るというものだった。競争によって利益を追求することは信託の健全な発展を阻害すると考えたのである。三井合名会社も信託会社設立の構想を了承し、これを後援する方針で、1923(大正12)年9月に公表する予定になっていたが、その矢先に関東大震災が発生し、未曾有の大混乱に陥って一時中断する。米山は、震災によって財産管理を使命とする信託会社の必要性を改めて痛感し、信託業の将来に対する確信を一層強めたという。欧米の事情に精通し、信託への深い関心を持っていた三井合名理事長の團琢磨も、米山の計画を後押しし、1923年12月の三井合名理事会において決定に至る。こうして1924年3月25日、丸の内の日本工業倶楽部で創立総会を開催し、ここに三井合名直系会社の一つとして三井信託株式会社が成立、取締役会長に團琢磨、代表取締役社長には米山が就任した。
米山は、日本全体の広い基盤に立ってできるだけ多くの共鳴を得るという方針を貫き、三井以外の諸財閥にも広く出資や代表者の参加を呼びかけた。その結果、発起人や役員、株主には、三井グループ以外の財界有力者が多数参画している。資本金は3,000万円(うち払込資本金750万円)、株式数は計30万株で、米山から出資依頼を受けた住友も合資会社の名義で3,000株応募し、第7位の大株主になった。三井信託は、社是として「奉仕と開拓 *1 」を掲げ、1924年4月10日、信託業ならびに担保附社債信託業の免許を受けて同月15日に営業を開始した。

地震発生後、避難のため品川駅に殺到した人々(「関東大震災画帖」1923年)

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