三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

信託預金の創案と特殊銀行

日清戦争の結果、台湾を領有することになった日本政府は、1899(明治32)年に台湾の資源開発を目的とした特殊銀行として台湾銀行を設立。同行は、日本の華南・南洋方面への進出を支えるための巨額の資金を必要とし、さらに第一次世界大戦勃発後、日本の輸出が急拡大したことで為替資金の需要が増大したため、内地から資金を獲得する方法として「信託預金制度」を創案した(1916年11月業務開始)。これは預金者が2年以上の一定期間を定めて資金を預託し、銀行が有利と考えた事業にその資金を投資し、信託手数料および保証料を除いた収益を配当として支払うというもので、信託期間3年未満で年5.5%、3年以上では年6%の最低保証が設定されていた。同じ時期の定期預金の年利が約4%であったことから見ても非常に有利で、さらに第三者への譲渡が可能であるなど利便性も高い制度であったため、1916(大正5)年11月の取り扱い開始から約1年後の1918年6月末には当時の全預金額3億3,400万円 *1 の1割強となる3,900万円超に達した。この間、これを有利と見た日本興業銀行も信託預金に参入している。

こうした特殊銀行と信託預金制度の動向に対し、資金吸収に苦しんでいた普通銀行は強硬な異議を唱えた。信託預金制度は法律によって規定されたものではなく、信託を扱うことができる特殊銀行であるがゆえにできた行動だったからである。普通銀行は大蔵省に信託兼営の認可または特殊銀行における信託預金の停止を要求するが、普通銀行が信託預金を扱うことは信託兼営につながるものであるため許可されることはなかった。大蔵省は1918年6月に信託預金の新規取り扱いを差し控えるよう指導し、特殊銀行側もこれを受け入れる。

時を同じくして政府は信託法および信託業法の制定を検討していたが、その成立(1922年)は数年先のことであった。

企業物価指数(戦前基準)換算による2022年現在の価値は307億2,800万円

1919年に創刊された雑誌「信託」第1号(国立国会図書館所蔵)表紙

1919年に創刊された雑誌「信託」第1号(国立国会図書館所蔵)表紙

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