三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

1 草創期の信託事業

「信託」の輸入と信託業の始まり

1924(大正13)年、信託業法に基づく日本初の信託会社として三井信託が、続いて翌25年に住友信託が誕生し、のちに一つの会社となる両社が歴史を刻み始める。しかし、これに先立ち、日本では1900年代の初めごろから信託事業を営む会社が相次いで現れていた。法律に基づく信託の歴史に入る前に、近代日本の金融制度の動向と「信託法」「信託業法」制定に至るまでの経緯について触れておきたい。

明治新政府は、1871(明治4)年に「新貨条例」、1872年に「国立銀行条例」を制定し、通貨の統一と銀行制度の確立を目指したが、その後1877年に勃発した西南戦争の軍費を賄うため大量の不換政府紙幣や不換国立銀行紙幣を増発し、激しいインフレを引き起こした。そこで不換紙幣を整理し、通貨価値の安定を図るため、1882年に中央銀行として日本銀行が設立される。

次いで、明治政府は、殖産興業推進に向けた資金供給機関として、分業で長期金融を担う特殊銀行を設立した。日本興業銀行(動産金融、外貨導入)、日本勧業銀行(不動産金融)、横浜正金銀行(貿易金融)、北海道拓殖銀行(北海道開発)、朝鮮銀行、台湾銀行などである。このうち日本興業銀行は、1902年に日本興業銀行法に基づき主として有価証券担保貸付を行う動産銀行として設立された。日本興業銀行法(1900年公布)には、同行の営業業務の一つとして「地方債券、社債券及株券ニ関スル信託業」とあり、ここに日本の法律において初めて「信託」という言葉が登場している。

同法の立案に参画し、日本興業銀行の初代総裁に就いた添田寿一は、英米で発達した「信託」を輸入し、信託業を担う機関となることによってこそ、社債や株式の発行と流通を円滑に行うことができると考えていた。また1872年に日本初の銀行である「第一国立銀行」を設立したほか、数多くの企業の設立に関わった渋沢栄一も、早くから信託業に強い関心を抱き、第一国立銀行の行員に命じて米国における信託会社について調査。有価証券に関連する信託業務を早急に輸入するべきであると説いている。

1905年に担保付社債信託法が制定されると、日本興業銀行法の先の言葉は「信託ノ業務」と改められ、動産・不動産の管理・委託などの業務が加わっているが、実際に行った信託業務は、担保付社債の取り扱いと債務保証が主で、ほかの業務についてはほとんど扱いがなかったようである。その後、1914年には台湾銀行、1916年には北海道拓殖銀行も信託業務を開始するが、大きな実績は残していない。担保付社債信託は、銀行のみ兼営して取り扱うものとして日本興業銀行と安田銀行の2行で開始され、短い期間で20を超える銀行が扱うまでに発展した。

産業資金の調達を急ぐ特殊銀行において財産管理業務が置き去りにされるなか、1906年には三井家ゆかりの有力者の援助を背景に、民間信託会社の先駆として東京信託株式会社が設立され、当初は主に三井家の財産管理を担う形で信託業務を開始した *1 。また1907年には大阪信託株式会社が設立され *2 、東の東京信託に対応する形で堅実に信託業務を行っていた。なお、これに先立ち、1876年に日本初の私立銀行として三井銀行が設立されている。

1962年信託業は廃業し、不動産専業会社として日本不動産株式会社に改称、現在に至る

1912年関西信託株式会社に改称、1941年三和信託株式会社に吸収

「信託」を日本に伝えた書籍

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担保付社債取り扱い会社一覧

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