三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010

平成不況下の金融業界

1990年代は、金融業界にとって文字どおり激動と苦難の時代となった。各行とも株価・地価の下落と景気後退による貸出先の業況悪化により、不良債権の新規発生とその累増、自己資本の毀損に苦しんだ。

このような状況のもと、1993(平成5)年1月には、金融機関の不良債権処理を円滑に進めることを目的に、民間金融機関162社が出資して共同債権買取機構が設立された *1 。回収までの不動産価格の下落によりさらに損失が拡大する可能性はあったが、不良債権をいったんバランスシートから消去できる効果もあり、各金融機関が利用した。

1995年1月には、東京協和信用組合および安全信用組合の破綻を機に、金融システムの安定性を維持する観点から、日本銀行および民間金融機関等の出資で受皿銀行として東京共同銀行が設立され、両信用組合の全事業を譲受した *2 。そして関係金融機関は、同銀行に対し、1995年3月末から15年をかけて400億円の収益支援を行うこととなった。

不良債権問題は、住宅金融専門会社(住専)の破綻によってさらに大きくクローズアップされた。住専は1970年代に住宅金融を手がけるために相次いで設立されたが、その後、銀行などの住宅ローンとの競合で不動産融資に傾斜。そして、バブル崩壊とともにそれらが不良債権化し、経営が悪化していった。

そこで政府は1995年12月に閣議において住宅金融専門会社処理機構を設立し、住専の資産を引き継ぐこと、引継時に一次ロス6兆4,100億円を処理すること、関係金融機関に債権放棄や住専処理機構への出融資を要請すること、一次ロス処理のため6,850億円の財政支出を行うことなどを決定。1996年になり、政府から金融機関宛てに、「住専処理に係る基本協定」について合意したい旨の提示があった。同年8月、政府および金融機関は同基本協定に合意し、住専各社は、同年7月に設立された住宅金融債権管理機構に資産を譲渡して清算会社になること、関係金融機関は債権放棄および管理機構への融資を行うことなどが決まった。しかし、これで住専問題が解決したわけではなく、金融機関に対してさらなる負担を求める声が大きくなり、政府は追加措置を講じざるを得なくなる *3

不良債権処理(貸倒引当金繰入や直接償却等による処分損失額)は毎年進められ、銀行関連ノンバンクに対する支援や処理も行われるなか、1996年3月期決算では大手21行中17行(三井信託銀行、住友信託銀行、中央信託銀行を含む)が経常赤字に転落。巨額の自己資本の取り崩しを余儀なくされた。

金融システム不安はくすぶり続け、1997年には大手金融機関の破綻が相次ぎ、システミックリスク懸念も一気に高まった。長引く不良債権処理やバーゼル規制により、自己資本の面から制約が強まっていた銀行は貸出姿勢を厳格化させ、金融仲介機能が低下。日本経済は1997年4~6月期以降の5四半期中、4四半期がマイナス成長となった。経営が不安視された銀行を中心に預金流出の動きが出始め、海外市場でも邦銀の信用力低下を映じてジャパンプレミアムが拡大するなど、金融業界は景気、金融システム、いずれの面でも深刻な事態に陥った。

こうした状況に対し、政府は拡張的な財政政策に踏み切るとともに、1998年には金融機能の再生、破綻金融機関の処理と預金者保護の強化等を目指した諸法案を成立させ、1998年3月(1.8兆円)と99年3月(7.5兆円)の二度にわたり、大手行等に対して公的資金による資本増強を実施した。続いて、民間金融機関の不良債権処理の促進と収束を後押しすべく、1999年4月には住宅金融債権管理機構と整理回収銀行(旧東京共同銀行)を合併して整理回収機構を設立した。

このような官民挙げての取り組みの結果、1999年度以降、金融システムの動揺は徐々に沈静化してジャパンプレミアムも縮小し、景気も回復に向かった。

この間、巨額の不良債権問題が深刻化していた日本長期信用銀行と日本債券信用銀行は、1998年に「金融機能の再生のための緊急措置に関する法律」(金融再生法)に基づき一時国有化された。その一方、業界再編の動きが急速に高まり、大手銀行同士の経営統合が相次いで発表される。こうした激動の最中でも金融自由化への流れは途絶えず、急速に進展していく。

具体的には、参加金融機関からの不動産担保不良債権の売却申し入れに対して、同機構に設置された価格判定委員会が担保不動産の価格査定を行い、それをもとに同機構が買取し(買取に必要な資金は、債権を持ち込む金融機関が融資)、当該金融機関は売却債権の簿価と買取価格との差額を売却損として会計上・税務上の処理を行う。その後、整理回収機構による買取など他のスキームができたこともあり、2004年3月に業務が終了し清算された。

1996年9月に整理回収銀行に改組

1996年9月、民間金融機関、農林系統金融機関および日本銀行が計9,000億円を拠出して「新金融安定化基金」を設立。同基金における民間金融機関および農林系統金融機関の拠出金は国債で運用し、運用益は15年後の業務終了時に国庫に納付された。

全国銀行の不良債権処分損とリスク管理債権の推移

全国銀行の不良債権処分損とリスク管理債権の推移

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