- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
資金運用の狭隘化
戦時体制のもと、信託会社では戦時金融統制の強化によって次第に資金運用の範囲が狭められていった。公債消化の促進と、軍事生産力拡充を目的とする生産拡充資金の供給という2つの課題の同時達成のためには、もはや直接的な金融統制以外に方法はなかった。
このため1944(昭和19)年1月に「軍需融資指定金融機関制度」が開始されると、貸出は日本興業銀行をはじめとする大銀行によって掌握され、信託会社は単なる資金提供者の地位に甘んじることとなった。
敗色が濃厚となった戦時体制末期には、1945年4月に共同融資銀行、5月に資金統合銀行が設立され、さらに金融統制が徹底化された。共同融資銀行は、地銀77行の出資により、地銀資金の共同運用を狙って設立されたものであったが、資金統合銀行が登場してこれを吸収し、余裕資金をすべて集中させて、軍需融資指定金融機関に配分する機能を果たした。地方銀行も信託会社もその貸出は実質上資金統合銀行に包摂され、もはや自主運用は一切許されなくなった。こうして信託会社は資金運用における自主性を喪失し、貯蓄吸収機関化したのである。