- 第1編
- 第3章 - 金融激動と業界再編 1991~2010
6 リーマン・ショックと信託業界
長期の景気拡大と不良債権問題の収束
景気拡大の動きは2008(平成20)年前半まで途絶えず、景気拡張期間は平成バブル景気(51カ月)、いざなぎ景気(57カ月)を超えて、戦後最長の73カ月を記録した。長い間、日本企業を悩ませ続けた「3つの過剰」(負債、雇用、設備)も、景気回復と企業のリストラ努力とが相まって解消に向かった。過剰債務の削減は金融機関の不良債権処理と歩調を合わせて進捗し、雇用面では2004年末ごろには人員不足感を持つ企業が増え、製造業の設備過剰感も2005年末にはほぼ解消した。企業収益も著しい改善を見せ、大企業製造業の売上高経常利益率はバブル期を上回る水準に達した。
こうして消費者物価上昇率のマイナス幅が徐々に縮小し、ゼロに近づいてきたことを受け、日本銀行は2006年3月に金融市場の操作目標を同行当座預金残高からコールレートに変更するとともに、コールレートの誘導目標値をゼロとする政策変更を決定し、量的緩和政策を解除した。さらに、同年7月には誘導目標値を0.25%に引き上げてゼロ金利政策を5年4カ月ぶりに解除し、2007年2月には誘導目標値を0.5%に引き上げた。
景気拡大は、貸出先の業況改善、株価上昇、都市部の地価の下げ止まりなどを通じて、金融機関の不良債権処理にも追い風となった。主要行の不良債権比率は2002年3月末の8.4%から2005年3月末には2.9%まで低下し、金融再生プログラム(2002年10月)で設定された不良債権比率を2004年度末までに半減するという目標は達成された。また全国銀行の不良債権残高(リスク管理債権残高)も2007年3月末には11.8兆円とピーク時の4分の1強まで減少し、長く日本経済と金融界を苦しめてきた不良債権問題は、ほぼ収束するに至った。破綻金融機関の数も大幅に減少し、預金者の金融システムや取引銀行に対する不安も沈静化したことから、延期されてきたペイオフも2005年4月に全面解禁となった。
金融行政のスタンスも、金融システムの安定から、金融システムのグローバル対応、国際競争力強化、金融サービス立国の実現に徐々にシフトしていった。2007年には新しい自己資本規制(バーゼルⅡ *1 )が導入され、続いて同年9月に利用者保護の徹底や開示制度の拡充を柱とする 「金融商品取引法」が全面施行され、この流れは2007年12月に策定された金融・資本市場競争力強化プランに引き継がれた。またこの間には「信託法」および「信託業法」の抜本的見直しも行われた(後述)。
世界経済の好調のもと、欧米では住宅建設ブームが起き、内需を押し上げた。とりわけ米国では、信用力の低い個人向け住宅ローンであるサブプライムローンの利用が急増し、住宅ブームが一層過熱するとともに、サブプライムローンを裏付けとした証券化商品、複数の証券化商品を組み入れた複雑な証券化商品が次々と開発・販売され、欧米を中心に多様な投資家が広く保有するようになった。