三井住友トラストグループ

第1章

信託制度の確立と発展
1922~1974

第3章

金融激動と業界再編
1991~2010

第1編
第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974

戦時体制と経済統制

1937(昭和12)年7月7日、日中戦争が勃発、軍部の圧力で泥沼化し、さらに第二次世界大戦へとつながっていく。インフレーションが進行するなか、大幅増税と低金利政策の推進が打ち出され、戦時体制下の金融政策は、増大する赤字公債の消化と、軍事生産の増大に伴う生産力拡充資金の供給を同時に達成しなければならなくなった。

1937年6月に成立した近衛文麿内閣は、早々にいわゆる財政経済三原則を発表し、経済統制の第一歩を踏み出した。その具体化が同年9月公布の「臨時資金調整法」「輸出入品等臨時措置法」で、資金と物資の統制が開始される。そして、翌年4月には「国家総動員法」が公布され、物資、生産、金融、価格、労働など、あらゆる経済分野にわたって政府が命令一本で必要な統制措置を行いうることが規定された。

金融における統制は、臨時資金調整法が不急産業への資金流出防止、生産拡充資金確保をうたったことから始まり、「会社利益配当及び資金融通令」「銀行等資金運用令」と深められていった。前者はより積極的に時局産業に対する融資を促進することを狙い、後者は流動資金を統制しようとするものであった。民間金融機関は、危険負担を考えると無制限に軍需に応じるわけにはいかなかった。大銀行は日本興業銀行を中心として共同融資方式を採用し、信託会社も逐次共同融資団に参加する。

1941年12月8日に太平洋戦争が開始されると、大規模化した戦争経済に対応して、金融統制はより直接的かつ強力なものとなった。1942年4月「金融統制団体令」の公布に伴い、翌5月、業態別の金融統制会が相次いで設立され、信託統制会も発足。また、同月の「金融事業整備令」の公布を機に、金融機関の整備統合が進められた。地方においては、すでに進行中の地方銀行の合同により一県一行主義が完成し、都市においては大銀行の中小銀行吸収、さらに大銀行間の合同が見られた。

信託会社の従業員数は戦時下でも増加を続けたが、応召や徴用によって男性の実働数が減少し、女性への依存度を高めた。さらに敗戦前年の1944年8月には「女子挺身隊勤労令」が公布され、女性従業員も軍需産業に動員されている。

戦時体制期の人員(1945年)

戦時体制期の人員(1945年)

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