- 第1編
- 第1章 - 信託制度の確立と発展 1922~1974
Column
総資金量1兆円の達成と大銀行としての自覚
1967(昭和42)年下期における「全国銀行資金量順位」によると、都市銀行および債券発行銀行がトップ10を占め、1位は富士銀行の約1兆8,900億円、11位の大和銀行までが総資金量1兆円を超えていた。信託銀行のトップは三菱信託の約9,000億円、住友信託と三井信託がこれに続くという状況で、この時期の経済の成長ぶりから見ると、翌1968年には信託銀行も総資金量1兆円時代に入ることが予測された。総資金量1兆円は、「大銀行」となるための一つの大きな目標だった。
そこで、三井信託、住友信託をはじめとする信託各社はできるだけ早期に1兆円を達成すべく、「1兆円運動」を展開。住友信託銀行は1968年8月、三井信託銀行は同年11月に1兆円を達成し、それぞれ大金融機関1兆円銀行にふさわしい体制を整え、社会的責務を果たしていくことを改めて誓ったのだった。
また、1962年に総資金量約500億円で発足した中央信託銀行は、ポスト1兆円を視野に入れつつ、創業12年目となる1974年8月に1兆円を目指すこととし、オイルショックの影響のもと、経費節減の徹底を図るなかで目標を達成。この年には店舗数でも先行信託各社と肩を並べるまでになり、1971年の三井信託、住友信託に続き、信託オンラインも開通した。

信託オンライン開通