- 第1編
- 第2章 - 国際化・自由化と社会の多様化 1975~1990
バブル期の社会と信託業界
高度成長を経て日本の産業構造、生活様式は大きく変わり、さまざまなステージで価値観の多様化が進行した。そうしたなか、1989(平成元)年に「1.57ショック *1 」が起きるなど少子化問題が顕在化した一方で、医療技術の進歩や生活水準の向上などから平均寿命は延び、人口構成の変化が進み始めた。社会とニーズの変化に対し、信託業界は、まず規制緩和を求めなければならなかった。したがって、この時期には長期的視野に立ち、世代間の資産移転や受益権の流通化、公益信託の活用などに関する検討が始まり、次の時代に実現される。
1980年代後半には株価・地価上昇のなかで、さらなる「値上がり期待」が高まり、株式投資や不動産投資がブームとなった。1987年にNTT株の売り出しが始まり、投資経験のなかった一般個人の関心を引いたこともこのブームに拍車をかけた *2 。さらに信託業界では、特定金銭信託(トッキン)やファンド・トラストなどの企業向け証券信託が急拡大した。保有株式と分離し、有価証券勘定において株式を運用できるため、企業にとってメリットが大きく、株価上昇への追い風となったのだった。
個人資産の蓄積も急速に進み、新たに形成された富裕層の間で資産管理・運用に対するニーズが高まるとともに、低金利政策も相まって定期性預金から証券、保険などへのシフトが大きく進んだ。さらに、アパート経営やマンション投資を行う動きも広がり、不動産仲介事業も活性化した。
土地信託も、バブル期の社会的ニーズに合致して活況を呈した。これは言うまでもなく、地価の高騰を背景とし、土地を売却せず(つまり地価を顕在化させることなく)土地利用の変更ができる点が歓迎されたのだったが、単なる土地利用の委託ということを超え、事業促進の新たな手法として、とりわけ都市再開発の分野で大いに専門性を発揮した。なお、この時期の実績は、法律改正後に不動産証券化をいち早く実現する基盤となった。現在利用が拡大しているファンドラップやリバースモーゲージも、1980年代に生まれた仕組みを新たな時代のニーズに合わせてブラッシュアップされて生まれたものである。
バブル期は、特に個人に対して財産管理方法における選択肢を拡げ、のちに生じる新たな社会課題に応えていく土壌が培われた時代だったともいえる。